2011年07月28日

人の心を震わせることができる声がある。

多分もともと声は空気が振動してるだけの音でしかなかったもので
その音の組み合わせで人は言葉をつむぐようになった。
その言葉は次第に意味を持つようになって人を喜ばせたり傷つけたりする武器になった。

普段人の声っていつも言葉を発しているからその意味ばかりに気をとられがちで
その声自体を聞くことが減ってしまってて、いつの間にかその人の
声自体がどんなだったかわからなくなるときがある。

今日、数年前までずっとずっと大好きだった声を久々に聞きました。
ところどころ擦れていてどの辺がいいのかよくわからなけれど
それでもこの声を聞くといつも凄く切ない気持ちになって
でも凄く満たされる気がする。
そしてずっと聞いてるとふと涙が出てくる。

この人の喉の奥にはきっと私の喉の奥にはない何かステキなものが入ってる気がする。
声だけで人の心を震わせることができるように。
声だけで人を癒したり励ましたりできるように。

一度だけ、手を伸ばしたら届くような距離で彼女の声を聞いたことがある。
その声は、他の音を凌駕してストレートに体内に響くようで、思わず息が止まる。

このご時勢、音はなんでもポータブルに持ち歩けるようになってきたけれど
それでもやっぱり生で聞くのと微妙に違う。
CDとMP3の音の違いが聞き分けられる耳の持ち主としては、ポータブルな音源に
どうしても満足できないんだよな、とか言いながらあれもこれもと曲を選ぶ自分がいる。

音のつながりは人の心を奮い立たせもするし、悲しみに暮れさせもする。
その中で純粋に人の心を満たすことができる音はそんなに沢山ない。
ましてや意味も感情も伴わない裸の声でここまで人を満たせるものは他にない。
この声を袋か何かに包んで持ち歩けるなら、叱られてもうまくいかなくても
トラップにひっかかってもくさくさしないかも。

そんな声を神様にもらえなかった私は明日もお仕事。

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2011年07月12日

お城

考えたらいけない。
今、自分が何をしていて、何をしようとしているか。
大事なのは今、自分が何を求められていて、何を提供できるか、だけだから。

走りながら考える。
できないものを「できる」と言ってからできるようにする。
そんなハッタリストな人生もそろそろ年齢的に厳しいかも、と思う今日この頃。

人はお城を建てるために生きてるような気がする。
沢山のことを経験して、沢山のものを見て、自分が好きなものを集めて
自分がいいと思うものに囲まれて安らぎを得る。
それが人生のゴールなんだとしたら、結構早々にゴールに到達しちゃう人も結構いるかも。

最終的なお城が6畳一間でも白亜の豪邸でも、大事なのはその人が
そこで落ち着けるかどうかだとしたら、私は沢山のものを失ってきた気がする。
自分で手放したもの、引き離されたもの、離れなければならなかったもの。
その沢山のものが私に今、「考えずに進め」という。

今はまだ考えなくていい。
正しさじゃない。美しさじゃない。
今必要なのは多分、「ひたむきさ」。

ニックネーム xiyue at 01:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月03日

現在地

学生時代、私は試験が好きだった。

しかし決して勉強が好きだったわけではなく、ただ単に試験が好きで
受かりもしないのに資格試験を受けたり、無駄によく模試も受けた。

学校でも高校くらいになると勉強しない度合いに磨きがかかって、
教科書すら買わなかった科目がちらほら。
それでも試験は嫌いじゃなかった。

ただ、同級生の「私ほんっとーに勉強してないのー」っていうのとは
レベルの違う「勉強してない」度で、教科書も買ってなければ
授業も聞いてない、その上試験勉強などというものはしたこともなく、
基本的にその日何の試験があるかすら知らずに登校。
だから試験の直前の休み時間に必死になってクラスメイトと
「あれ覚えたー?」「あそこ絶対出るよー」という会話もなく、
基本寝ていて、試験問題が配られるときに前の席の人に起こされ、
「おー今日は化学かーなんだこの六角形はー」
というレベル。

だからむしろ赤点だとか一桁の点数だとかも当たり前なので気にもならず、
試験が返ってくるときにキーキーキャーキャー言うこともなかった。

ただ、現状の素の自分に客観的な点数をつけられることで、
自分の立ち位置を確認できるから。
それだけの理由でなんとなく試験を受けるのが好きだった。

そういう向上心のない動機で試験を受けているもんで、
模試で「あと何点で合格ライン!」とか書かれても別にそれを越えようと
努力をするわけでもなく。
「あーそうなんかーあと何点でここのラインくらいなんかー」と納得して終了。

よくそれで大学まで出たな、と思うけど、私にとって試験は
何か目的を達成するための手段でも、目安でもなく、
ただ、自分の現状を教えてくれるバロメーターでしかなかった。

学問とは日常の積み重ねで自ずから習得したものでしかなくて
教科書を読んで覚えたり、人から回答を教わるものでもないような気がしていた。

数字というものは、人類の発明の中でも異質なもので、無機質で感情を持たない。
シビアで明確で変に人を納得させる力がある。
統計もあくまで主観でしかないと思うけれど、それでも数字で評価されることが
一番罪が少ない気がする。

社会人になって試験がなくなり、仕事を変わってからは数字で評価をされることすらなくなってしまった。

そうなると結局主観で評価されることになって、そんな評価をもらっても
私には自分の現在地がわからない。
評価する側の好みもあり、期待値も入り、他人との兼ね合いもある、そんな評価では
正確に自分にどれだけの実力があって、何がどれだけ足りてないのかがわからない。

行き着くところは結局他人の評価でなくて自分の評価だとか言うところなんだろうけど、
自分で自分を正確に評価できるんならそもそも世の中に試験なんかいらないと思う。

現在地を知ったところで別に努力もしないんだからいいじゃないか、とも思うけど、
安心感も焦燥感もその全ては現在地確認から。
自分にGPSが必要。

くだらないかもしれないけど、「今あなたはここにいますよ」と教えてくれる
無機質なGPSっぽい生き物がいたらいいのに、と切に思う。
で、ちょっと人生寄り道すると
「ルートを外れました、ルートを外れました」と無機質に繰り返される。

人に良く思われたいとか、嫌われたくないとか、思い上がらせたらいけないとか、
色んな感情が入り混じって評価される毎日の中で、
優しくなくていいから、もう少し無機質な人間っていないんか、と思う自分は
多分ちょっと疲れてる。
ニックネーム xiyue at 23:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

 

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